「自分のために富を積んでも、神のために豊かにならない者はこのとおりだ。」 (ルカ12:21)
主イエスの譬え話です。 あるお金持ちの人が大きな倉を建て、財産や穀物を何年分もため込んで「魂よ、この先何年もの蓄えができたぞ。さあ安心して、食べて飲んで楽しめ」と自分の魂に向かって語りかけたのです。 ところで、食べ物、着る物、健康を自分の知恵や力で自由にできることなど、本来は出来ないことです。それは全て神さまからの賜物だからです。金持ちはそのことに気づいていません。でも、こうした金持ちの考え方こそ、世間一般の物の見方を代表したものと言えます。 さて、主イエスは、この譬えを通して三つ大切な真理を伝えようとしています。 第一に、金銭は人に真の安らぎを与えるものではないこと。 第二に、この人の愚かさは自己中心にあること。その証拠に新共同訳聖書では、「『わたしの倉』を建て、『わたしの穀物や財産』をその中にしまい込み、『わたしの魂』に向かって安心せよと言おう」と言って、金持ちは「わたしの」という言葉を繰り返し使っています。「私が、私が」という神さま抜きの姿勢で、そこに本当の幸せはないのです。 第三に、彼が成功を収めた時、神は「愚かな者よ、今夜、お前の魂は取り上げられる。お前が用意したものは、一体誰のものになるのか」と対決を迫るのです。 「自分のために富を積んでも、神のために豊かにならない者はこのとおりだ」と主イエスは言われます。新共同訳聖書では「神の前に富む」と訳していますが、まさに私の人生に神さまとの縦の関係を持ち、それを大切にすることこそ「神の前に富む」ことの意味でしょう。それが本当の幸せ、本当の豊かさの秘訣なのだ、と教えてくださっているのです。 新年度が始まったばかりです。今日も神さまとの関係という縦軸をピンと伸ばし、主と共に健やかに生きていきましょう。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘
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