「すると、イエスは言われた。『では、皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。』」(マタイ22;21)
今日は憲法記念日です。今日の聖句は、日本国憲法の精神と響き合うように思います。 主イエスは「皇帝」という言葉を使いますが、現代に当てはめるならば、この世の権威、国家と呼んでもいいでしょう。皇帝も一人の人間、神の被造物に過ぎませんし、人間が造り出す国家も究極的なものではないのです。何故なら「皇帝のものは皇帝に返せ」という命令は、「神のものは神に返せ」という命令によって限界づけられているからです。 仮に、この世の権威が、神の意志に反するようなことになるならば、私たちは抵抗し、神さまのご意思がどこにあるかを求め、訴えなければならないことでしょう。そのように憲法というものは元来、国家権力を縛る目的で制定された法律なのです。しかし最近の政治の動きを見ると、どういうわけか憲法が国民の権利を制限するかのように錯覚させられます。 主イエスは、「神のものは神に返せ」と言われます。この時の主イエスの脳裏には創世記の「神はご自分にかたどって人を創造された」と言う聖句があったのではないかと思います。 聖書は、「私たち一人ひとりに神の像が刻まれている」と教えます。主イエスが、「神のものは神に返しなさい」とおっしゃる意味は、「神の像が刻まれているあなた自身は、自分自身を神に返すようにして生きていきなさい」という私たちに向けられた強い勧めの言葉なのではないでしょうか。 今、香港やミャンマーでは、神が人間に与えられた人として生きる権利(人権)が国家権力によって脅かされています。ミャンマーで拘束されたジャーナリストの北角裕樹さんは、みどり幼稚園の卒園生だそうです。「神のものは神に返せ」と言われる主イエスの御言葉を心に留め、祈りの手を挙げていきたいと思います。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘
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