「『私がエジプト人にしたことと、あなたがたを鷲の翼の上に乗せ、私のもとに連れて来たことをあなたがたは見た。それゆえ、今もし私の声に聞き従い、私の契約を守るならば、あなたがたはあらゆる民にまさって私の宝となる。…』…『私は主、あなたの神、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。あなたには、私をおいてほかに神々があってはならない。…』」(出エジプト19:4−5、20:2−3)
「旧約聖書の神さまと新約聖書の神さまはちがう。旧約の神は義の神で、新約の神は愛の神だから」という言葉を聞いたことがあります。しかしこれは大きな間違いです。旧約聖書の神も新約聖書の神も、同じ神さまです。義であると共に、恵み深い愛のお方です。 確かに聖書を見ますと「~してはならない」とか「~しなさい」という戒めの御言葉がたくさん出て来ます。そうした聖句は、時々、堅苦しさを与えることがあります。でも、そうした御言葉を前後の文脈の中で読む時に、必ず一つのことに出くわします。それは常に「神さまの恵みが先行している」ということです。 実は、今日の御言葉は、モーセを通してイスラエルに十戒をお授けになる直前に主なる神さまによって語られたものです。十戒が付与される前に「出エジプト」という、一方的な恵みの出来事、救済の出来事があったことを、神さまはイスラエルの民に伝えているのです。 すなわち、奴隷であった人々が、「出エジプト」という救いの恵みによって神の選びの民とされたのです。そのような恵みの選びを経験し、聖なる神の民と呼ばれるようになったからには、その神の民と呼ばれるにふさわしい生き方があるはずです。それを表現したものが十戒であり、聖書に出てくる様々な戒めの言葉なのです。 救いの恵みがあって、次に救われた者としての生き方が続きます。信仰生活にとって、この順序がとても大切なのです。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘 発行者名:高座教会 連絡先:info@koza-church.jp 住所:大和市南林間2−14−1