「しかし主よ、あなたこそわが盾、わが栄光、私の頭を起こす方。」(詩編3:4)
詩人は、「彼の人生を見て御覧なさい。神さまが存在しているのなら、なぜ、あのようなことが、彼の人生に起こるのだ!」と言う人々に囲まれて生活していました。そのような声を耳にし、彼は大変落ち込んでいたのです。反論の仕様がなかったからです。 しかし、詩人はそれで終わらなかったのです。神さまの御前に沈黙し、静まりの時を持ったのです。そうした祈りの中で、神さまがどういうお方で、私のために何をなしてくださったのか。そうした一つひとつのことを思い起こしていったのです。 聖書を通し、今までの信仰生活を振り返り、この私に、ご自身を豊かに現してくださったお方として神さまを信じるのか、それともアダムやエバのように、突然の訪問者である蛇の方を信頼し、その言葉に耳を傾けてしまうのか、そのどちらなのか、という問題です。 「ちょっとここで待っていてね」と言われ、その場所を離れず母親が戻るのを待つ幼子が居たとします。そこへ意地悪な大人がやって来て「お母さんは戻って来ないよ。あんた、捨てられたんだよ」と言ってきた。周りを見渡すと辺りも暗く、母親が戻る気配がありません。すると不思議なのですが、周囲が、そして何よりも母親が、その意地悪なオジサンが言ったような人に見えてしまうのです。その結果、心に動揺が起こる。 しかし誰が何を言おうと、母親の言葉を信じたらどうでしょうか。〈お母さんは必ず戻ってくる〉と確信し待つことができたでしょう。神さまとの関係も同じなのです。 サタンは「お前に救いはない。お前の神はどこにいるのか」と言って、信仰することがつまらないことのように誘惑してきます。そのように突然、神を非難するために姿を現した者の言葉を信じる代わりに、今まで共におられた神を信じることが大切です。それが信仰者の強みです。
いってらっしゃい。 牧師 松本雅弘
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