松本雅弘牧師の日々のみことば

月曜から金曜の毎朝、高座教会の牧師からメッセージをお届けします

必要を誰のもとに携えていくか

「彼らは荒れ野をさまよい、不毛の地で人の住む町に至る道を見いだせず、飢え、また渇き、命は衰え果てようとしていた。苦難の中で主に叫ぶと、主は彼らを苦しみから助け出した。主は彼らをまっすぐな道に進ませ、人の住む町に向かわせた。主に感謝せよ。その慈しみと、人の子らになされた奇しき業のゆえに。まことに主は渇いた魂を潤し、飢えた魂を良いもので満たしてくださった。」(詩編107:4―9)
 日常生活で私たちは、お腹を空かせ、喉の渇きを経験するものです。つまり人間は、こうしたニーズを抱えて生きている存在です。 誤解を恐れずに言えば、神は人間を「欠けある者」として創造されたと聖書は教えているように思います。 でも、神が人間をそのように造られ、それで終わりではありません。詩篇は「まことに主は渇いた魂を潤し、飢えた魂を良いもので満たしてくださった」と謳い、そうした「欠け」を主が満たしてくださることを発見し驚きをもって主を賛美しているのです。  ある牧師は、この真理について「日々の食物や、喉をうるおすコップの水がもたらしてくれる充足感は、創造者の思いと贖いによる憐れみの結晶です」と語っていました。 とすると私たちにとっての幸いとは何でしょう?それは問題や欠けや足りなさを通し、この神と出会い、そのお方によって満たしていただくことを経験することとも言えるのではないでしょうか。 パウロは、この神さまに出会って次のように叫びました。 「私の神は、ご自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスにあって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。私たちの父なる神に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン」(フィリピ4:19−20)  あなたは今、生活や仕事、あるいは能力の点で「必要」を感じていますか?大切なことは、その「必要」を誰のもとに携えていくか、です。
 いってらっしゃい。  牧師 松本雅弘
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