「灯をともして、それを器で隠したり、寝台の下に置いたりする人はいない。入って来る人に光が見えるように、燭台の上に置く。隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、明るみに出ないものはない。」(ルカ8:16−17)
以前、信徒宣教者で「声なき者の友の輪(FVI)」のスタッフの柳沢美登里姉が、アフリカを訪問した時の証しをされました。現地を訪問した際に「何か出来ることがあれば援助したい」と申し出たそうです。当然、経済的な支援を求めて来られるだろうと思ったのに対して、彼らの願いは、「私たちのために祈ってください」ということだったそうです。 アフリカの現地の人々が、様々な問題の渦中にあって、問題が無くなることよりも、むしろ、その問題の中で神さまがどのように働くかを、常にしっかりと見ることが出来るように祈って欲しい、と求めたのです。 洗礼を受け、クリスチャンになったら、全ての問題が解決されるわけではありません。むしろ問題を隠すのではなく、祈りの中で光ご自身であられる主の御前に持ち出していくことこそ、大事なことなのだと、イエスさまは教えてくださいます。 なぜなら「隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、明るみに出ないものはない」からです。 では、隠し事が人に知られたら、どうなってしまうのでしょうか?「ああ、ばれちゃった」とがっかりするのでしょうか。そうではなくて「明らかにされるものはみな、光となる」と聖書に教えられているように、明るみに出されたことは全てが恵みになるからです。 今日の聖句にある、「隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、人に知られず、明るみに出ないものはない」という主イエスの言葉は、今のあなたにとってどんな意味がありますか?
いってらっしゃい。 牧師 松本雅弘
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