「きょうだいたち、私自身はすでに捕らえたとは思っていません。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」 (フィリピ3:13−14)
シンガポールの教会の指導者D.W.F.ワング先生が書かれた、『最後まで走り抜け―聖書登場人物13人に学ぶ意義ある人生の各章を締めくくる鍵』という書物を読んだことがあります。 その本には、信仰生活を最後まで全うすることの方が、信仰生活を始めることに比べて何倍も難しい、ということが書かれていて、「最後まで走り抜く」知恵の言葉が、聖書から導き出されていました。 その一部を、次にご紹介したいと思います。 「中国のことわざに、『木を植える最良の時は、20年前であった。次の最良の時は、今である』とあります。過去に立派に終えたかどうかにかかわらず、最後まで走り抜くために、私たちはいつでも今始めることができます。最後まで走り抜くことを願って始めるのです。マルチン・ルターは、まったき永遠の中で重要なことは、この日と、かの日のほんの2日だけであると教えています。かの日に、神の御前にどのように現れたいのかをいったん決断するならば、この日にどのように生きるかも私たちは決断することになります。最後まで走り抜くことは、将来に考えることではなく、現在執着すべきことなのです。」 確かにパウロも、将来、神さまの御前に立つときに、どのような姿で立ちたいかを心に描いて、そのような姿で立つために、今、すべきことを祈りつつ選び取る生き方をしていました。そのことを語ったのが、今日のパウロの言葉です。 今日から9月です。月の初めに、あなたの歩みがどちらの方向を目指しているか、点検しながら、再スタートしてはいかがでしょうか。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘
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