「私はあなたをわが家にお迎えできるような者ではありません」(ルカ7:6)
百人隊長がいました。その部下が重病を患ったのです。考えた末に〈イエスさまに助けていただこう〉と思い、ユダヤ人の長老たちに相談しました。さっそく長老たちはイエスさまのところに行き、隊長の願いを取り次ぐのです。その結果、部下の病はイエスさまによって癒されていきます。 さて、この百人隊長は自らを「ふさわしくない」と見ていました。程度の差はありますが、私たちも同じように自分を顧み「ふさわしくない」と感じることがあります。人が自分をどう見ているかで心が傷つき、自信を失うこともあります。でも本当に大切なのは〈他人がどう見るか〉や〈自分が自分をどう見ているか〉ではなく〈神がどう見ておられるか〉です。 聖書は、神があなたを「愛する者」と見ておられることを伝えています。その証拠に神は十字架によって赦しの愛を示されました。私たちは愛されている存在なのに、心のチャンネルが合っていないがために、神の愛を実感できずにいる。ここに不幸の原因があります。ですから、まず祈りつつ神さまの語り掛けに聴くことです。 勿論〈他人がどう見ているか〉を知ることも時には大事でしょう。でも多くの場合、神さまが語り掛ける愛に耳を傾けず、逆に周囲の冷たい視線や言葉を相手にし過ぎるあまり、どれだけ傷を負っているかと思います。いや、他人はそう見ていなかったとしても、「自分はダメだ」と不安を持ちながら、向けられた視線を解釈しようとする時、私の不安や心配が、相手の瞳に投影され、〈やっぱり、そうだったんだ〉と何か確証を得たように思い、鬱々した心の悪循環に落ちていくようなことがあります。 百人隊長は、ユダヤの長老たちからの評価や、自分自身の自己評価でもなく、イエスさまの御言葉に、自分をかけていったのです。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘
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