松本雅弘牧師の日々のみことば

月曜から金曜の毎朝、高座教会の牧師からメッセージをお届けします

限りなく優しい神の御手

「神の業がこの人に現れるためである」(ヨハネ9:3)
 世界にたった一人でも常にあなたの味方になってくれる人がいたら、どんなに支えられることかと思いませんか? 私自身は若い頃、説教の後、物凄く不安になることがよくありました。そんな時は必ず妻を捜します。そして「今日の説教、どうだった?」と尋ねるようにしていました。すると必ず「良かったよ!」と言ってくれる。その言葉が聞きたくて妻を捜すのです。説教の出来はある程度わかっているつもりです。だからこそ励ましが必要なのです。そのようにして三十五年間、妻に支えられてきました。 そして、実は他にもいつも味方になってくださる方がいる。愛の眼差しをもって支えてくれる方がいる。そうです。イエスさまです。 「秋」というリルケの詩です。
木の葉が落ちる/落ちる/遠くからのように/大空の遠い園生が枯れたように 木の葉は否定の身振りで落ちる/そして夜々には/重たい地球が/あらゆる星の群れから/寂寥のかなたへ落ちる/われわれは皆落ちる/この手も落ちる/ほかをご覧/落下は全てにあるのだ/けれども/ただひとり/この落下を限りなく優しく/その両手で支える者がある
確かに様々な出来事がある。否定的な出来事も多い。「落下」は全ての人にあります。しかしリルケは、「けれども/ただひとり/この落下を限りなく優しく/その両手で支える者がある」と断言するのです。この「けれども」が大事です。この「けれども」が力になるのです。 主イエスは「神の業がこの人に現れるためである」とお語りになったのは、様々な出来事の中にいるあなたをしっかと両手で、そして限りなく優しく支えるお方があなたの神なのだということを、決して忘れないでほしいと強く願っておられるからなのです。 今日、この限りなく優しい神の御手にあって健やかに歩まれるようにと祈ります。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/WDnZjb3PRduwduQJ8
発行者名:高座教会 連絡先:info@koza-church.jp 住所:大和市南林間2−14−1