松本雅弘牧師の日々のみことば

月曜から金曜の毎朝、高座教会の牧師からメッセージをお届けします

幸せな日と不幸な日

「幸せな日には幸せであれ。/不幸な日にはこう考えよ。/人が後に起こることを見極められないように/神は両者を造られたのだ、と。」(コヘレト7:14)
 神さまに降参したモーセは、召しに応えて、一歩前へと歩みだしました。ところが、そこに壁のように立ちはだかるもの、すなわち、《頑ななファラオの存在》があったのです。 出エジプトの出来事の直前まで、聖書には「ファラオの心は頑なになり、モーセとアロンの言うことを聞かなかった。主が仰せられたとおりである」という表現が繰りかえし出てきます。 これを私たちに当てはめるならば、こういうことでしょう。〈クリスチャンになったのに、何でいつまでも問題を抱えているのだろうか〉、〈スムーズな人生を送ることができないのだろうか〉。 あるいは、〈神さまから御心を示され、自分も神さまに従う決心をして新しい歩みをはじめたのだから、ドンドン前進してもいいはずなのに、どうして妨げや困難ばかり起こるのだろうか〉。こういった疑問が心のなかに浮かぶのではないでしょうか。 ところが、聖書は「不幸な日があるから幸せな日がある」、「困難があるから祝福がある」と語っているようにも聞こえて来ます。 「幸せな日には幸せであれ。/不幸な日にはこう考えよ。/人が後に起こることを見極められないように/神は両者を造られたのだ、と。」 ファラオは自分で心を頑なにしたのですが、聖書は、神さまがファラオの心を頑なにされた、と書いています。それは、神さまの深い御心でした。そして、その深い御心は同時に、深い愛と恵みの御心であることを私たちは御言葉によって、そして日々の信仰生活において経験していくのです。 今のあなたにとって、今日の聖句は何を語っていますか。主の御前にこのことを思い巡らしてみてください。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘
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