松本雅弘牧師の日々のみことば

月曜から金曜の毎朝、高座教会の牧師からメッセージをお届けします

応答を求める神さまの愛

「徴税人や罪人が皆、話を聞こうとしてイエスに近寄って来た。すると、ファリサイ派の人々や律法学者たちは、「この人は罪人たちを受け入れ、一緒に食事をしている」と文句を言った。そこで、イエスは次のたとえを話された。」(ルカ15:1−3)
 昨日で春の歓迎礼拝が終わりました。今年は、ルカによる福音書15章にある三つの譬え話から神さまの愛についてご一緒に学んだことです。 最初の譬え話はいなくなった一匹の羊を探し求める羊飼いの話。二つ目は無くした銀貨を必死になって捜す女性の話。最後の譬えは放蕩息子の帰りを待つ父親の話です。 一番目と二番目の譬えは、羊飼いも女性も失った羊や銀貨を必死になって捜すのですが、三つ目の譬え話に登場する父親だけは、こちらからは動かずじっと待っている姿が語られています。〈何故だろうか?〉と思いました。 考えてみれば、譬えに出てくる羊も銀貨も人格のない動物でありコインです。それに対して三つ目の譬えに登場する放蕩息子は人格をもった人間なのです。この三つ目の譬えを通して主イエスが伝えたかったのは、神さまというお方は、私たちからの応答/レスポンスを待っておられるお方、そうした人格的な側面だったのではないでしょうか。 ともすると私たちは自らを見て、こんな自分ではダメだと思ってしまうことがあります。色々なことが整理されてからでないと「クリスチャン」と呼ばれるにはふさわしくないと考えるかもしれません。でも、神さまは、そのままのあなたを求め、あなたからの応答を期待しておられるということなのです。 聖書の教えの基本は、立派になってから洗礼を受けるということではありません。クリスチャンになるということは、あなたを捜しておられる神さまの呼びかけに気づき、方向転換して、その方のふところに飛び込んで行くことなのですから。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘
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