「聖書は私について証しをするものだ。」(ヨハネ5:39)
日本で生活している者がいつの間にか身につけていった人生観というものがあります。日本は美しい四季を味わえる風土です。その春夏秋冬という季節の移り変わりの経験が「輪廻」のような考え方を生み出したと言われます。これを人生に当てはめると《幸と不幸が交互にやってくる》という考え方です。 でも、この考え方は、聖書の人生観と違います。聖書は明らかに、神さまの恵みに根差して生きる人生は「流れのほとりに植えられた木」のように、常に実を結び葉は枯れることがないと約束しています(詩編1編)。これが聖書の人生観です。 勿論、時に災いと思える出来事も起きますが、神さまの「流れ」のそばに居る時、不思議と益とされていくのです。 ところが、信仰を持った後も日本的な人生観を当てはめ、「こう調子が良いと、今度神さまは、余り調子に乗るな、ゴツンとされるかもしれないから、しばらく静かにしておきましょう」と考えてしまうことはありませんか?「神さまもそう思っているに違いない」とあなたの心の不安や心配を神さまに押し付けないでいただきたいのです。 結局、こうした信仰の問題点は神さまに聞こうとしていない姿勢にあります。自分の考えや不安、常識を、聖書の言葉に先行させてしまう。御言葉によって私自身を軌道修正するのではなく、私の常識や考え方が基準となって、それに合うように御言葉に制限を加えてしまう生き方です。 では、どうしたらよいのでしょう?自分勝手な神さまのイメージ、あるいはクリスチャンになる以前の考え方や常識を一度横に置いて「神さまの自己紹介の書」である聖書を通して、 そして何よりもイエスさまを通して、ご自身をどのようなお方として自己紹介しておられ、何を願い、何を行おうとしておられるのか。つまり神さまの御心に注目したいと思うのです。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘
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