「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるように、神の武具を身に着けなさい。」(エフェソ6:11)
あなたは「悪魔なんて本当にいるのか?」と思ったこと、ありませんか?でも、聖書は悪魔の存在を教えます。では、一体どのような者として聖書は教えるでしょうか。 ヘブル語で「サタン」、そしてギリシャ語で「アンティディコス」という言葉が使われていますが、これは「訴える者」、「敵対する者」、「試みる者」という意味があります。つまり、一言で言えば、悪魔とは、神さまと私たちの関係を破壊する者です。 そのことを目的として生きているわけですから、最初から神さまとの関係が問題にされないような状態にある時、悪魔は強く働かないでしょう。 でも、「御言葉に真剣に生きていこう」と心に決めて歩み始めるとき、つまり、私たちの信仰が目覚め、クリスチャンとして自覚的に生きることを始める時、〈これは大変なことだ!〉と言って、目の色を変えて働くのが悪魔なのです。 悪魔が目の色を変えて動き出すのは、私たちが「隣人を愛しなさい」という御言葉を学んだだけではなく、御言葉に従って、〈現実に、隣人を愛そう!〉とし始めた時です。そして、もっと言えば、私たちが〈隣人を愛そう!〉と始めるときに、残念ながらそうすることの出来ない自分自身と出会うことでしょう。 パウロは、そんな私たちの弱さという現実も想定した上で、「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるように、神の武具を身に着けなさい」と言って、私たち自身の無力さを素直に認めて、「神の武具」で身を固めつつ、神さまにより頼み、その偉大な力によって強くされ、その結果、愛せない自分が変えられる経験をしていくように、と勧めているのです。こうしたことほど、悪魔の嫌がることはありません。 あなたは、今日、神さまの武具(エフェソ6章参照)で身を固めていますか?
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘
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