「忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ」(ローマ15:5)
ある日、イスラエルに飢饉が起こりました。その時、若い人が野に草を摘みにいきました。そして、ウリをたくさんとって帰って来た。ところが、そのウリが毒ウリで、それを知らずに鍋の中に入れたものですから、その毒が煮物全体に広がってしまいました。 列王記下四章を読みますと、この出来事に対処した預言者エリシャの姿が見事なのです。 彼が何をしたかと言えば、聖書は「麦粉をまいて祈って毒を消した」と伝えています。普通の人でしたら、「若い者は経験がなく、毒ウリとそうでないものの区別もできない。危険な目にあわせて、一体何を考えているのだ」と、説教したかもしれません。 ところが、エリシャはちがっていたのです。「若い人は経験がないために失敗するのは当然だ。私たちも失敗を繰り返しながら一人前になってきた。知識や経験がないのは当然です」と言って、問題を神さまの御前に差し出し、神さまに毒を消していただいたのです。 神さまのため、そして人のために一生懸命やろうとするときに、失敗することは有り得ることです。 この時、エリシャは一言も小言を言いませんでした。頭ごなしに命令をすることもありませんでした。むしろ失敗した若者をかばって祈り、よかれと思ってやった、その「思い」を受けとめたのです。そのような時、裁き心をもって小言を言うなら愛は働かなくなり、交わりは破壊されます。 こんな時、あなたならどうしますか?エリシャは、神さまが愛をもってエリシャ自身にしてくださったように、周囲の人々と接していきました。こうした関係の中で初めて、神さまの愛の御業が前進していったのです。 もし職場や学校、教会の人間関係の中で、カチンと来ることが起きたなら、今日の御言葉を思い出してくださいね。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘
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