「霊の結ぶ実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制であり、これらを否定する律法はありません。」(ガラテヤ5:22―23)
主イエスは、「全て重荷を負って苦労している者は、私の許に来なさい」と招かれました。決して「全て重荷を負って苦労する者は、もっとしっかり働きなさい」とか「もっと頑張りなさい」とも言われませんでした。 私たちの働きの延長線上に平安はありません。重荷をイエスさまにお任せして初めて平安という恵みが与えられます。 努力の結果、何かを実現した結果、平安が与えられるか、と思ったらそれは大きな間違いです。不思議なことに、努力し一生懸命頑張って何かをすると「もっとしなければならない」と必ず感じるものです。 経済的なこともそうなのではないでしょうか。お金を貯めると、もっと貯めなければ、と思うのではないでしょうか。子育てでも上手にいかないことが起こると、もっと親がきちんとしなければ、と思います。そのように「もっと、もっと」と思ってしまいます。 こうした生き方を一般に「律法主義的な生き方」と呼びます。 逆に聖書が教えるクリスチャン生活とは、その「もっともっと」と内側からかり立てる自分自身を神さまにお任せして、自分の力でどうにかする生き方から、ぶどうの木であるキリストにつながって生きる生き方に切り替えていくこと。それによって、主から平安(平和)をいただくのです。 平安とは何でしょうか。ぶどうの木であるキリストにつながった結果、いただく恵みです。聖書は、平安は聖霊の結ぶ実と教えています。私たちの努力で勝ち取るものではなく、あくまでも神からの賜物なのです。 ところで、今朝、あなたは平安ですか?
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘
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