「彼らは荒れ野をさまよい/不毛の地で人の住む町に至る道を見いだせず/飢え、また渇き/命は衰え果てようとしていた。苦難の中で主に叫ぶと/主は彼らを苦しみから助け出した。主は彼らをまっすぐな道に進ませ/人の住む町に向かわせた。主に感謝せよ。その慈しみと/人の子らになされた奇しき業のゆえに。まことに主は渇いた魂を潤し/飢えた魂を良いもので満たしてくださった。」(詩編107:4―9)
日々の生活で、空腹や喉の渇きを経験します。人間はこうしたニーズを抱えて生きている存在です。誤解を恐れずに言えば、神は人間を「欠けある者」として創造されたと聖書は教えているように思います。 でも、それで終わりではありません。詩編は「まことに主は渇いた魂を潤し/飢えた魂を良いもので満たしてくださった」と歌い、そうした「欠け」を主が満たしてくださることを発見し、驚きをもって主を賛美するのです。 ある牧師は「日々の食物や、喉をうるおすコップの水がもたらしてくれる充足感は、創造者の思いと贖いによる憐れみの結晶です」と語っていました。 ところで、私たちの幸いとは何でしょう。それは、様々な問題や欠けや足りなさを通して、この神と出会い、そのお方によって満たしていただくことを経験することなのではないでしょうか。 パウロは、この神さまに出会って次のように叫びました。 「私の神は、ご自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスにあって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。私たちの父なる神に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。」(フィリピ4:19−20) 今日、生活や仕事の上で「必要」を感じていませんか。大切なのは、その「必要」を携え、誰の許に行くかなのです。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘
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