「ダビデはそこに主のための祭壇を築き、焼き尽くすいけにえと会食のいけにえを献げた。主はこの国のために祈りに応えられ、イスラエルを襲った疫病はやんだ。」(サムエル下24:25)
ダビデは、生涯の最後のところで、人口調査の罪を犯しました。しかし神さまは彼を憐れみ、預言者を遣わし悔い改めへと導かれたのです。 その直後、主はエブス人アラウナの麦打ち場に行き、祭壇を築くようにと命じられました。彼はすぐに命令に従い費用を惜しまず祭壇を築き、礼拝を捧げたのです。その結果、主の一方的な憐みによって、ダビデと民への裁きは過ぎ越していきました。 人口調査のような、一見、罪とは無関係の出来事の中に、ダビデの野望が隠れた罪として潜んでいました。王という立場が立場だけに罪のもたらす影響は深刻で、大勢の人々の命を奪う結果となったのです。 以前、「静まりの一日リトリート」に参加しました。しばらく静かに神の御前に静まったあと、ファシリテーターが次のような質問をしました。 「あなたの命はあと半年です、と宣告されたら、その半年をどう過ごしますか。」 私は色々考えました。まだやり残していることが「あれ、これ」たくさんあると思ったからです。でも、半年の命であると知った後、そうした「あれ」や「これ」が最も大事なものではないことに気づかされる経験をしたのです。 しばらくしてファシリテーターは、「では、その半年の枠を外し、今日から示された生き方を始めてみましょう。」と投げかけたのです。 今日、どこかで時間をとって、次の二つの問いを思い巡らしてみてはいかがでしょうか。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘
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