「イエスは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言われた。『私の言葉にとどまるならば、あなたがたは本当に私の弟子である。あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にする。』」(ヨハネ8:31−32)
「キリストの弟子とは、どういう人のことですか?」と尋ねられたら何と答えますか。 今日の聖句でイエスさまは、「弟子とはイエスさまの言葉にとどまる者だ」と教えています。 では、イエスさまの弟子である私たちがすべきことは何でしょうか? 第一に、イエスさまの言葉にとどまるために、まず「とどまる」べき御言葉を聴くことでしょう。 新しい年、あなたはどのように聖書を読む計画を立てていますか。忙しい生活の中で、いつ聖書を読むことにしていますか。まだ計画していないならば、どうぞそのことを考えてみてください。 第二に、弟子とはイエスさまから聴いた言葉にとどまる者です。 ある時、主イエスは、カナの村で結婚式の手伝いをされました。ぶどう酒が底をついた時、水をぶどう酒に変え、新婚カップルの門出を祝福されました。その奇跡の業に参加したのが弟子たちでした。 この時、弟子たちに対して「水をぶどう酒に変えなさい」とは言わず「瓶に水を満たしなさい」と言われました。勿論、水をぶどう酒に変える奇跡などは出来るはずもありませんが、ともすると「瓶に水を満たす」という単純な作業も〈バカバカしい〉と思ってしまい、簡単に出来ないことがあるのではないでしょうか。 イエスさまの言葉にとどまるとは〈こんなことやって何になる〉と思えるようなことでも、結果を任せて従って行くことを意味します。 今年一年、御言葉を聴くことと、御言葉にとどまること、それによって主の御業を目の当たりにする弟子として歩んでいきたいものです。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘
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