「神の業がこの人に現れるためである」(ヨハネ9:3)
世界にたった一人でも常にあなたの味方になってくれる人がいたら、どんなに支えられることかと思いませんか? よくお話しすることですが、若い頃、説教の後、物凄く不安になることがよくありました。そんな時は必ず妻を捜します。そして「どうだった?」と訊きます。すると必ず「良かったよ!」と言ってくれる。その言葉が聞きたくて妻を捜すのです。説教の出来はある程度わかっているつもりです。だからこそ励ましが必要なのです。そのようにしてずっと、妻に支えられてきたのです。 そして、実は他にもいつも味方になってくださる方がいる。愛の眼差しをもって支えてくれる方がいる。そうです。イエスさまです。 季節はずれですが、リルケの「秋」の詩です。
木の葉が落ちる/落ちる/遠くからのように/大空の遠い園生が枯れたように 木の葉は否定の身振りで落ちる/そして夜々には/重たい地球が/あらゆる星の群れから 寂寥のかなたへ落ちる/われわれは皆落ちる/この手も落ちる/ほかをご覧 落下は全てにあるのだ/けれども/ただひとり/この落下を/限りなく優しく/その両手で支える者がある
確かに様々な出来事がある。否定的な出来事も多い。「落下」は全ての人にあります。しかしリルケは、「けれども/ただひとり/この落下を/限りなく優しく/その両手で支える者がある」と断言するのです。 この「けれども」が大事です。この「けれども」が力になるのです。 イエスさまが「神の愛の業が現されるためだ」と答えられたのは、様々な出来事の中にいるあなたをしっかと両手で、そして限りなく優しく支えるお方があなたの神なのだということを、決して忘れないでほしいと強く願っておられるからなのです。 今日、この限りなく優しい神の御手にあって健やかに歩まれるようにと祈ります。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘
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