「すると二人の目が開かれ、自分たちが裸であることを知った。彼らはいちじくの葉をつづり合わせ、腰に巻くものを作った。」(創世記3:7)
創世記は、もともと人間は素晴らしい存在として、しかも「神さまのかたち」に似せて造られたと語ります。 「神のかたち」に似せて創造されたとは、神の語りかけを聴き、それに応答して生きるとき、初めて自分らしく、人間らしく生きることができる者とされていることを意味するのです。 確かに、人間は生物でもありますから、「パン」を必要とします。しかし魂をもつ存在であるがゆえに、「心の糧」である御言葉が必要で、これがあって初めて人間らしく生きることができるのが私たち人間です。 ところが、創世記によれば、命の源なる神との関係が切れてしまったために、「心の糧」を得られなくなりました。 その結果、「あなたは素晴らしい。あなたは宝のようだ」と言ってくださる神の語りかけが心に届かなくなったために、常に「何か足りないのではないか」という不足感や、「これさえなければ」という不満感、あるいは自らに対する不甲斐なさや怒りを感じて生きるようになってしまったのです。当然、人間関係も上手くいきません。 そのために、「いちじくの葉」で見栄えをよくしますが、所詮「背伸びした姿」です。「葉」ですから時間がたてば、パラリと剥がれ落ちることだってあります。心が満たされませんから、周囲からの評価や称賛を「心の糧」の代わりに求めます。 では、どうすればよいのでしょうか。心の中の空洞を神さまの愛で埋めていただくしかありません。虚しさや不安に襲われる時、神さまに心を向けていくことです。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/j3zkw1Rccd6Y1bSg6
発行者名:高座教会 連絡先:info@koza-church.jp 住所:大和市南林間2−14−1
創世記は、もともと人間は素晴らしい存在として、しかも「神さまのかたち」に似せて造られたと語ります。 「神のかたち」に似せて創造されたとは、神の語りかけを聴き、それに応答して生きるとき、初めて自分らしく、人間らしく生きることができる者とされていることを意味するのです。 確かに、人間は生物でもありますから、「パン」を必要とします。しかし魂をもつ存在であるがゆえに、「心の糧」である御言葉が必要で、これがあって初めて人間らしく生きることができるのが私たち人間です。 ところが、創世記によれば、命の源なる神との関係が切れてしまったために、「心の糧」を得られなくなりました。 その結果、「あなたは素晴らしい。あなたは宝のようだ」と言ってくださる神の語りかけが心に届かなくなったために、常に「何か足りないのではないか」という不足感や、「これさえなければ」という不満感、あるいは自らに対する不甲斐なさや怒りを感じて生きるようになってしまったのです。当然、人間関係も上手くいきません。 そのために、「いちじくの葉」で見栄えをよくしますが、所詮「背伸びした姿」です。「葉」ですから時間がたてば、パラリと剥がれ落ちることだってあります。心が満たされませんから、周囲からの評価や称賛を「心の糧」の代わりに求めます。 では、どうすればよいのでしょうか。心の中の空洞を神さまの愛で埋めていただくしかありません。虚しさや不安に襲われる時、神さまに心を向けていくことです。
いってらっしゃい。
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