「イエスは、『私に付いて来なさい。人間をとる漁師にしよう』と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。」(マルコ1:17−18)
ある日、イエスさまはガリラヤ湖にやってきました。そこに居た四人の漁師たちをご覧になったのです。彼らの額に刻まれた皺、ごつごつとした手、日常生活に疲れたその背中をとおして彼らの心をもご存じの上で、「私に付いて来なさい」と言って、御自身と共に新しい歩みをするようにと招かれたのです。 ところで彼らは、即座に主イエスの招きに従えたでしょうか。実は、彼らのすべきことが一つだけ残されていました。それは「捨てる」ということです。 誰でもそうですが、もっと大切なものをつかむためには、今、手の中に握りしめているものをいったん手放すことが求められます。 そのようにして彼らがイエスさまにある新しい人生を手に入れるために手放したものが、「網」だったと聖書は伝えています。 ところで、彼らにとっての「網」とは何でしょう?それは彼らの生活を支えてきたもの、生活の糧を得る手段です。普通、彼らは「丈夫で立派な網さえあれば安心だ」と考えたと思います。私たちにとっての「網」とは安定した仕事、身に着けた技術や人脈、努力して勝ち得た経歴などかもしれません。でも今の時代、そうした「網への信仰」は静かに崩れ始めているように思います。 今朝、イエスさまがご覧になる、その目に、あなたの姿はどのように映っていると思いますか? 仕事や人間関係に疲れていないだろうか? 限界を感じていないだろうか? あるいは、生き生きと過ごしているだろうか? イエスさまは、そうしたあなたに「網への信仰」から「主イエスへの信仰」に切り替えるようにと招いておられます。
いってらっしゃい。
牧師 松本雅弘
ご感想は下まで(スマホ・パソコンの方向けです) forms.gle/j3zkw1Rccd6Y1bSg6
発行者名:高座教会 連絡先:info@koza-church.jp 住所:大和市南林間2−14−1
ある日、イエスさまはガリラヤ湖にやってきました。そこに居た四人の漁師たちをご覧になったのです。彼らの額に刻まれた皺、ごつごつとした手、日常生活に疲れたその背中をとおして彼らの心をもご存じの上で、「私に付いて来なさい」と言って、御自身と共に新しい歩みをするようにと招かれたのです。 ところで彼らは、即座に主イエスの招きに従えたでしょうか。実は、彼らのすべきことが一つだけ残されていました。それは「捨てる」ということです。 誰でもそうですが、もっと大切なものをつかむためには、今、手の中に握りしめているものをいったん手放すことが求められます。 そのようにして彼らがイエスさまにある新しい人生を手に入れるために手放したものが、「網」だったと聖書は伝えています。 ところで、彼らにとっての「網」とは何でしょう?それは彼らの生活を支えてきたもの、生活の糧を得る手段です。普通、彼らは「丈夫で立派な網さえあれば安心だ」と考えたと思います。私たちにとっての「網」とは安定した仕事、身に着けた技術や人脈、努力して勝ち得た経歴などかもしれません。でも今の時代、そうした「網への信仰」は静かに崩れ始めているように思います。 今朝、イエスさまがご覧になる、その目に、あなたの姿はどのように映っていると思いますか? 仕事や人間関係に疲れていないだろうか? 限界を感じていないだろうか? あるいは、生き生きと過ごしているだろうか? イエスさまは、そうしたあなたに「網への信仰」から「主イエスへの信仰」に切り替えるようにと招いておられます。
いってらっしゃい。
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